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屋根付き冠木門のある住宅は時々見かけるが、石の鶴亀が鎮座するのは今時珍しい。
なにか良いことに出会ったようで、つい気分も良くなり散歩の足も軽くなる。
そういえば、私が育った田舎の家は普通の民家であったが、小障子には鶴が飛んでいたし、欄間は鶴と亀であったのを記憶している。
鶴亀と日本人の暮らしとは思いの外深く多岐にわたり関わっている。
枯山水の造園はもちろんのこと、欄間彫刻や釘隠しなど建築関連の造形物や家具に始まり装身具や着物、紋章、食器や身辺の小物類にいたるまで実に多くの鶴亀の意匠がある。
鶴亀は施設名や店舗名(介護施設、温泉、銭湯施設、ラーメン店、寿司店、食堂等)、商品名(日本酒銘、和菓子類、和弁当、醤油など)にも多い。
落語「鶴亀」はお正月の高座には必ずかけられるし、謡曲、長唄、常磐津にも謡われている。
ところで、鶴と亀の歌詞がある「かごめかごめ」は誰もが子供の頃に歌った経験があるだろう。この歌の解釈は、仏教の輪廻転生、陰陽道、嫁姑の関係から徳川埋蔵金、ユダヤの秘宝等に関わる解釈と諸説あるそうだ。これもまた興味深い。

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桜が散ると街路に、住宅の庭先に、公園にハナミズキの花が溢れる。
こんなにハナミズキが増えたのはいつ頃からだろうか?
ハナミズキはアメリカ原産なのだが、何故か昨今では和食料理点の店名につけられていることも多いようだ。
たしかにアメリカ南部のコロニアル風住宅にはとても似合いそうだ。
私は、昔からの日本住宅にはあまり似合わないように思えるが、どうだろうか。
もっとも日本家屋は今やタイル外壁のマンションが多いし、一戸建住宅もどこの国の住宅か判別しがたいような建物のほうがいつの間にか主流になったので、ハナミズキを植栽にするのだろう。
写真は散歩の途中で見かけたハナミズキ。これとそっくりな風景をほんの10分ほどの通勤距離の途中に、何箇所も見受けられる。

毎年お正月のTVやイベントは「初笑い〜〜」タイトルで大いに賑わいます。
ところで「笑い」そのものが神事になっていることも多いですね。
笑いの神事では大阪の枚岡神社の注連縄掛神事通称、笑い神事)」と名古屋熱田神宮の酔笑人神事(通称、オホホまつり」が有名ですが、和歌山県の丹生神社に伝わる「笑いまつり」も、なんとも人間的な言い伝えで、愉快です。
『神代の昔、丹生都姫命(にふつひめのみこと)が出雲の神様の集会に遅刻して、気を落としている姫を村人は"笑え、笑え祭り"を行い慰めたところ姫は笑顔をとり戻し出雲へ出立した』というのがその由来と言われています。笑いにはその場を変化させるエネルギーがあると言われていますが、この由来などはまさに場を変化ささせた「笑いのちから」そのものですね。
(神様に落ち込んでいられては村人も困ります・・・)
熱田神宮の酔笑人神事では、境内の灯りが全て消された闇の中でとりおこなわれるという。神職達は、古来より決して見てはならないと伝えられる神面を装束の袖にいれて、お互いが扇で神面を軽く叩いた後、神職全員が「オホホ」と笑い合うという不思議な神事。
決して見てはならない神面とは、いかなる面なのでしょうか? 闇の中で執り行われるというのもなんとも神秘的ですね。

「笑いのちから」でいい1年を!
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ゑびすさま by S.W(上記の笑いの神事とは関係ありません)

D・JAPANオリジナルペーパークラフト「クリスマスツリー」の
写真を送っていただきました。




■神奈川県在住のSさんからいただきました。

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ペーパークラフトXmasツリーをダウンロードして作りました。
我が家の下駄箱は犬、猫、ロバと何でもありの飾り棚ですが、
今年はクリスマスツリーが加わり、一段と賑わいも増しました。
ありがとうございました。





■栃木県在住のTさんからいただきました。

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ペーパークラフトに少し興味を持って探していたら
簡単にできそうなクリスマスツリーを見つけとってもラッキーでした!
クリスマスも近いので子供と一緒に作ってみたので見てください (>o<)/





上手に作っていただきありがとうございます。
皆様で楽しんでください。
まだまだ、ペーパークラフト「クリスマスツリー」の完成写真待っています!

神社の境内で見かけた稲穂。新嘗祭が近いことを思い出した。

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そう言えば、我々は食事をとることをご飯を食べるという言い方をする。米は「同じ釜の飯を食う」「米一粒汗一粒」などのことわざや芭蕉「田一枚植えて立去る柳かな」など俳句にも多く詠まれている。日本人にとって米は単に主食としてのつながりを超えて、産業、経済、文化に深く関わっているといえる。

ところで、江戸時代には新田開発奨励に伴う治水工事や都市整備としての用水路工事などを通じて土木技術は飛躍的な発展を遂げ、それにはいわゆる江戸時代の数学である和算が使われた。和算は土木・建築、財務、さらに暦など実用的な計算法として発展し、やがて実用性を超えて学者や官吏だけでなく一般の数学愛好家を生み出し享和・文化文政の頃に隆盛を極めたという。

和算の難問が解けたときには、神仏に感謝しさらに勉学に励むことを祈念してその解答法を額にして奉納した。また、難題を算額にして奉納し、別の人がそれを解答した祈念の奉納額もある。まさにその時代、神社仏閣は数学ゲームを支える役割を果たしていたと思うと妙に楽しくなる。

全国の神社には今でも算額という奉納額がかなり残されている。(算額は、ホームページ和算の館に詳しい


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写真は寛政12年正月(1800)に長野県木島平村の水穂神社奉納された算額。(ホームページ/和算の館より)



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この額も文政12(1829)、同水穂神社に奉納された測量図の算額。(ホームページ/和算の館より)

仲秋とあるので陰暦8月、いかにも趣がある。



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渋谷金王神社に残る算額。四国の伊予西条の藩士が安政6年に奉納したもの。


三枚とも素晴らしいデザインで、見ていて飽きることがない。


長野県の木島平村には8面の算額が残っており、山間部の小さな村としては極めて珍しいことらしく、いかに和算が広範囲な地域に盛行していたかを忍ばせて興味深い。

かつては米の収穫増加を目指した新田開発の測量にも和算が大いに力を発揮したわけだが、現在でも算額を受け入れる神社があり、奉納する人もいると聞く。


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蝉の幼虫は巣穴から出てきて、羽化までの絶対時間の中で天敵から身を隠すための最適な場所を必至に探すらしい。その結果、樹の幹であったり、民家の門柱や壁であったり、木の葉の裏であったりする。
銀杏の葉に残された抜け殻は風が吹くとゆらゆらと揺れ、まさに空蝉そのものの姿を垣間見るような気分にさせられる。
日本ではもののあわれのイメージが強いが、中国では古くから生き返りや復活の象徴とされ、古代ギリシャでは装身具などに美と幸福そして平和の象徴としてセミのデザインがある。
写真:今年はじめて観たセミの抜け殻。渋谷区の金王神社


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あまりに近い! 本州と九州

先日久しぶりに関門海峡を渡った。初めて訪れる人は、手にとるように近い本州と九州の距離に、まず驚くであろう。狭い所ではわずか700mにも足らない関門海峡は、言わずと知れた源平合戦壇ノ浦の戦いの舞台で、潮流の変化が激しく、そのことが源平合戦の勝敗に影響したともいわれている。

果たして眼前の潮の流れは確かに激しそうに思える。

この海峡を眺めていると、古来より海上交通の要所であるということが、不思議と実感できる。太平洋戦争末期には5000発の機雷が米軍によって設置されたという。図らずも今日、発見された機雷が爆破処理されたとのニュースがあった。

この海峡は戦いの歴史なのである。ところで、武蔵と小次郎の決闘で有名な巌流島もこの海峡域にある


写真:本州下関側から北九州市を望む

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 山門をくぐると、なにかひんやりしたような・・・

振り返ると山門からなんと霧が! 1分置きくらいに吹き出していた。

う〜ん、しばらく声が出なかった。

参拝者へのサービス? この設備はたして必要なのか? 

山門には送風式噴霧器が仕込まれているというわけだが、なんとも下町はなかなか過激である。



今春からベランダ菜園を始めた。取り立てて理由はないが、簡単そうだったので「ほうれん草」と「小松菜」から始めた。知り合いの野菜づくりの先達さんに教えを請いながら、何とか写真のように育った。

栽培は2,3度の間引きと、適当な水やり以外は手間がかからないので、少しばかり拍子抜けの感もある。ベランダ菜園は、言わばキットの組み立てのような気がしないでもない。とは言え、発芽から次第にそれらしく変貌を遂げてゆく姿を目にしつつ、自分で育てた野菜を食べられるのは、なかなかの楽しみではありますね。



ほうれん草.JPGのサムネイル画像

しばらくぶりの更新で、ちょっと古いニュースですが・・・

今日で従来の東横線渋谷駅がなくなるということで、渋谷駅は撮り鉄とにわか撮り鉄で大混雑であった。最終便は深夜にもかかわらず乗り鉄で超満員だったらしい。

最終便を下車したあとは、新規相互乗り入れの始発を乗り鉄するということでしょうか?

ところで、開通前から大混雑が危惧されていた東横線と副都心線の相互乗り入れ渋谷駅ですが、それ以上の状態に陥っている様子。

ネットでも、もはや「駅としての機能」に疑問を持たざるを得ないと、多くの書き込みがあり、新聞のニュースにもなっている。私の通勤で体験したことを後日掲載したい。東横線.JPGみんな撮り鉄になった夜